焼肉女子会

焼肉女子会、楽しかった。
当初6~7人の予定が13人まで膨れ上がってはじめての人が多くて どうなるのーと思ったけど、
みんな歯に衣着せぬ本質トークで盛りあがり、11時のお開きまであっという間だった。
経営者、サロンオーナー、プロダンサー、セラピスト、元CA… それからモノホンの霊能者  そんな強者ばかりだった
飛び交った単語は クズ (笑)
私の男性不信もダダ漏れトーク
合間に、見えない世界のことも教わったりして…
ほんと楽しかったなー。
満月美しく。焼肉おいしく。牛よごめん、ありがとう。
セラピストの方に、首のリンパの詰まりを治してもらうというラッキーも!
ラクになったよー。
刺激と、癒しと、学びと。いろんなものが詰まった女子会でした。
こどもら見ててくれた母、ありがとー。
ありがたい、ありがたい。


吐き出し

早く返事よこせ糞野郎の親父さんよ
のんびり田舎でゲストハウスやってる場合じゃないですよ
自分の息子の不始末から目を反らさらないでくださいね。
もと教育者でしょ?息子の教育はどうしたんですか?
お母さんも、女性の自立支援やら子育てやらの講演してましたよねええ??
息子の精神的自立はさせられなかったのに人前で子育てについて講釈たれていたんですかねー可笑しいね!!!
あんたらの息子は、おかしいよ!知ってるでしょ!私が結婚するとき、気づいてなかったもんだから、黙ってましたよねー、酒癖の悪さとか!!!
私がもしそんなやつの親なら、結婚するって連れてきたら『こんなんだけど知ってる?大丈夫?』って真剣に話し合うよ!!!
不幸の連鎖を止めるために。

あーもうほんとモヤモヤヤキモキする!!早く返事して!!!
元嫁の私のことはどーでもいいかもしれないけど、あんたらの血の繋がった孫たちの未来がかかってるんだよ??
それもどーでもいい訳??
はやく返事しろ。
プロフィールに、『弱者に配慮できる』のが長所って書いてありますね?
息子の有責で離婚した妻とそのこどもは弱者じゃないんですかああ???とくにこどもは!!!いま、配慮、してますかああ!!!
息子に大人として責任とらせろ。私が求めてるのはそれだけ、あんたらがどう生きようと自由だけど、大人としてちゃんとしてくれ。

養育費

送信。

元旦那の親に、お宅のドラ息子養育費払わないっていってますけどなんとか言ってくれメール。

昨夜、送った。
反応は予測不能。
スルーされるパターンもあるかも。

ともあれ今回は退かない。
いままでさんざん退いてきたのだから。
これは死守する。

メールの文面を考えるのに数日かかった。
はよ返事よこせ。

先に進むために。



インドから10年

india★part5

そして私は10年前の7月、インドの旅から帰ってきた。

Part4のあと、書きかけた続きを書こうと思う。

私は故人のネックレスをガンジス河に放り投げ、
またその絵を、目の前で薪と共に燃えている、知らない誰かだった死体の火のなかに放り込んだ。紙だからあっという間に燃えはじめた。
祈り方も経のひとつも知らないけど、バチッと少し震える手を合わせて目を固く瞑って、とにかく、これでおしまいだと祈った。

目をあけてふぅと息をついて、火の番をしていたインド人にthank youと言い、振り返らずに宿に戻った…。

私に供養なんて出来ないと思った。
まして罪人、悪人の魂など、勝手に天国に行ってくれるもんじゃないと思った。
でも何かしないといけない…そのタイミングを待っており、インドのガンジス河ならその魂も受け入れ流してくれるだろうと、
そうすることに決めたのだった。

清濁あわせて全てを呑み込むガンジス。
あの時も、あの時から今も、休まず流れつづけている。すべてを受け入れながら。
ツーリストの腹を壊しながら。
我が儘な祈りを受け入れながら。
悲しみを受け入れながら。

私は私なりの儀式を通して、供養を終えたのだ。

10年前だ。生活は様変わりを何度もした。

あの時の旅は、恋人の待つ家に帰った。その恋人とも、きれいとは言えない別れ方をして、その後彼がどうしているのかもわからない。
当時は私には自立心というものが薄くて、常に誰かに、なにかに依存して生きていた。
インドの旅の目的も、彼との関係を一度離して自分自身を強くして…なんて甘ちゃんなことを考えていたけど、そんな簡単に自立ということは起きない。
結局、本当に自立しなければと危機感を覚える結婚の失敗により、ようやく自立ということが理解できてきたように思う。
いま傍で眠る3人のこどもたちを育てるという責務が、私にはある。
その責務を、大変だけど楽しいものだと思う。
私なりに、全力を注いでいる。

インドから帰って2年後には僧侶になり、
経も多少覚えた。仏教のことも世界の宗教のことも、他人がどんな感覚で生きているのかも、わからないことだらけなのは依然としても、その頃より多少はわかるようになった。

生と死が誰にも等しいことを。
人は何かに依存して生きていることを。
また人には色んな面があることを。
みんな訳あって生まれてくることを。
ほんの一握りの人間の計画と大勢の無意識がこの世を作っていることを。
愛の概念には種類があることを。
人は人が作り出した妄想にかられたまま生きて死ぬことを。
最近みんなよく気にする目に見えぬ世界のことも少し。
何事もプラクティス・プラクティス・プラクティスだということを。

だけど人生の時間には限りがある。
そう何度もやり直せないこともある。

私はこの先10年、20年は、お金を得るためにも仕事をして、子どもたちを育てていたらあっという間に過ぎていくような気がするけど、その10年先も、明日すらも、本当にあるかどうかはわからないのだ。
先まで考えることと、今を全力で生きることを、やりくりしながら生きているのだ。

その狭間に、どうしても表現しきれない思いがある。憧れ続けることしか出来ないことがある。

それは、夜、子どもが寝たあとの紅茶だったり、
子どもの髪の毛だったり、
揺れる洗濯物だったり、
自転車を漕ぐ筋肉だったり、
この句読点だったり、 
なめらかな包丁の切っ先だったり、
誰かの咳払いだったり、
犬の抜け毛だったり、
たんぽぽの綿毛だったり、
一瞬の笑顔だったり、
歌声だったり、
ガンジス河の1滴だったりする。

いろんな事象に自分が遅れて存在する隙間に、いろんな形で、それが入ってくる。
一生懸命いのちや時間を伸び縮みさせながら生をやりくりしてるときも、容赦なく変わりなく。
それは瞬間でしかなくて、とらえ続けることはできない。目の前にしょっちゅう表れるわりに。
憧れ続けるしかできない、切なくて、変わりなくて、偉大なもの。

それが、私の、愛の感じ方。
それが、いずれ、帰る場所。
それが、私が、生まれた訳。
それが、いのち。


インドから10年。
私は何故だかまた愛の姿を探している。
すでにあるものを、根掘り葉掘り探している…。

これは成長なのか退化なのかわからない。
いやんなっちまうぜ。



アラスカ

アラスカに行く夢をみた。
アラスカにいたり、アラスカに憧れたりの夢だった

私は思った。
アラスカに行って泣きたいし
アフリカに行って泣きたいんだろうな私は

アザラシの子をさばく夢をみた。
大きなナイフで皮から肉をはがし、
腸をとりだしてみたり。
簡単にやってたけど現実ではきっと簡単じゃない。

アラスカに行って
彼に謝りたい

それも美化された思い出なんだけどね

ほんと、何してるんだろう彼、、、
知る手段がない。

純粋な愛というものに憧れ続けている私は馬鹿野郎だな。



おとめごころ

職場で、時間ほとんどかぶらないからロクに話したことないヒゲのOくんがいるんだけど
他のスタッフの子が  Oくんが、私さんのことめっちゃタイプって言ってましたよー。超かわいいって。と。。。 
子持ちバツイチになに言ってるんでしょうかねーなんて答えたけど。。。
内心わりと嬉しかったらしい自分。
Oくんはわりと私の周りにいそうな感じの若干ヒッピーぽい感じだが、中身はわからん。。。
なんだが、それは一週間くらい前で
昨日、久しぶりにシフトが一時間だけかぶって何回か顔合わせたんだけど
まぁ別にふつうなんだけど

昨日、夢に出てきましたよ。
顔が曖昧だからか、電話で話す夢(笑)
好きだって言われる夢(笑)(笑)
自分単純すぎ。

まーこんな訳で好意に応えることはできないけど
そう言われるのは心の潤いですよ、ありがとう的なことを言っていた。

美人と言われることはちょいちょいあるけど、社交儀礼込みで実際たいしたことないと思ってるのでそれはスルーなんだけど
かわいい、ってのはちょっとほら、違うやん?女の子扱いって感じ?


まぁ、その後日、当人にまた会ってもなんとも思わなかったんですけどね。




仕事がしんどい時

今日、朝、気持ちがしんどかった。
ああ、仕事サボりたい…こんなとき、どうすればいいんだっけ?と。
そう。とりあえず、今日を生きる!と思うこと。
しんどい事を想像したり心配したり不安に感じたりするから、しんどい。
だから明日のことやそういうのはとりあえず横においておき、今日を生きる!と思うこと。


と、前のメモも完結させておく。

五時間を週5、うち2~3日はこどもの体調やらで休むことを見込んでのシフト。
それがちょうどよさそうであーる。