サガンと、『居心地』

今、サガンの映画を観ているのだけど

サガンについてはよく知らない。

ただ、ハッとしたことがあった。

『一緒にいて居心地が良くて、愛してくれる人…』
という台詞。
『一緒にいて居心地が良い』
っていう感覚を、長い間、忘れていて、
もしかすると自分はそんなのを求めているのかもしれないとふと感じた。

『居心地がいい』 とっても抽象的な言葉。
でも、そんな肌感覚で、そう感じる相手が、
家族を除いて、私にはいるだろうか?

思い出すのは、あまり会わなくなった友達…
そして昔の恋人。

いつから、人と会うときに、いまのような緊張感を持つようになったのだろう?
自分と他の世界という境界線を、はっきり持つのが良しとしたんだろう?

『この人と会うとこういうことが得られる』、そんな打算を、いつからか持つようになってからではないだろうか?


昔ははっきりと、男女の間に友情はあると思っていた。
たとえ間に何か箱のようなものをひとつ置かないとならなくても、そんなのは手間というほどではなく、爽やかに、そうだと思っていた。

いまは、男を男と意識しすぎているきらいがある。
あと、いろんな人にいろんなふうに通さねばならない義理というのを感じていて、それが自由さを制限しているのかもしれない。

それでは、『居心地がいい』という肌感覚のアンテナの感度を、自分で鈍らせているみたいだ。

そうだ…
いろんなこと、忘れちゃってるなぁ。

『居心地がいい』相手と出会うには、
まず自分が、居心地のいい状態でいるかな。
その加減が、難しいけどねー。

祈りたくなりました。






……………明日は赤ちゃんの父ちゃんがくる。
数日泊まっていく予定

彼が、居心地のいい相手だったらいいんだけど。
そうじゃなくて、どちらかというと悪い。
いろんなこと根掘り葉掘り聞いてくるのがすごく嫌。そういってから、前よりは聞かなくなったけど。


サガンのように、私も物語をつくりたくなりました。