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暦と私の生きる道。

秋分を迎えてから二日経つ。

昔の人が天体、夜空やお日様や月をずっと観察して
それと自然のはたらきとの関係を見つけだして
つくりあげてきた暦。
種を蒔くのは新月がいい 収穫は満月がいい
いつが昼と夜が当分になって
いつがいちばん昼が長くて
いつがご先祖様の霊を歓迎して
いつがお祝いによくて…
感動する。
マヤの人達なぞ、人間の範疇を超えたような大きな何百年何千年というサイクルを見つけている。
星座もそう。
自分が生まれたとき太陽はどこにあったか。それが普通のいわゆる星座。
月があったところが月星座。
それだけではなくて、他の星座も、惑星も、その角度も、すべてが影響しあって、
人間含んだ自然界に及ぼすいろんなことを、
たくさんの人が、科学的(反証可能な現実)に・霊感的に・研究して、時を耐え抜いて、いま存在している。

だから、秋分とかマヤの新年とかは、ワクワクする。
いわゆる普通のグレゴリオ暦のカレンダーには、あまりワクワクしない。
お正月に帳尻が合うだけで、月の動きも、惑星の動きも、関係ないもの。
旧暦や古代歴のほうが、より、自然の一部としての人間の営みを体感することができる。

私はまだまだな人間だ。
超未熟。
きっと、多くの人もそうなんだろう。
ただ
お金と惰性と支配に管理されたような社会のなかで、暦や天体のことを知るのは
いのちの原点に近づくことのような気がする。
それが成長につながるというより、見えなくなったものを見えるようにするという原点回帰。
原点回帰して見える風景は、いまより豊かだったり赦されていたりするんじゃないかな。


独身時代はマヤ歴の手帳で生活していたけど、子育てしたり無私になってくると書き込む暇がなくてすっかりやらなかった。
惜しくて、白紙ばっかりになると半分わかっていても二年は注文し続けた。
それくらい、マヤ歴での生活が心地よかったのだ。


最近、また、自分を更新されるような出会いがいろいろあります。
芽生え始めた意欲もあります。
感動と修行がいっぺんにくるね。
そんなときはやっぱり体感に良い暦で暮らしたいね。
グレゴリオ暦は忙しすぎるし遅すぎる。

暦=天体=数秘=生命
知識ではなくて、自分の中に生かす智慧。

ちなみに我が子三番目の娘には慧の字がつきます。
名前も、親が考えたようで、じつは生まれる前魂のころから本人が決めてきてるって、ほんとかな?




今日という日もありがとうございました。


水の惑星、緑の惑星、いのち溢れる惑星地球。
そのある島国の、進化と退化をいっぺんにあらわしている、星の見えない東京から。
それでも地球は回ってて、星々はめぐっていて、きらめいて、生まれて消えて、
美しい。
美しい。
美しい。