インドから10年

india★part5

そして私は10年前の7月、インドの旅から帰ってきた。

Part4のあと、書きかけた続きを書こうと思う。

私は故人のネックレスをガンジス河に放り投げ、
またその絵を、目の前で薪と共に燃えている、知らない誰かだった死体の火のなかに放り込んだ。紙だからあっという間に燃えはじめた。
祈り方も経のひとつも知らないけど、バチッと少し震える手を合わせて目を固く瞑って、とにかく、これでおしまいだと祈った。

目をあけてふぅと息をついて、火の番をしていたインド人にthank youと言い、振り返らずに宿に戻った…。

私に供養なんて出来ないと思った。
まして罪人、悪人の魂など、勝手に天国に行ってくれるもんじゃないと思った。
でも何かしないといけない…そのタイミングを待っており、インドのガンジス河ならその魂も受け入れ流してくれるだろうと、
そうすることに決めたのだった。

清濁あわせて全てを呑み込むガンジス。
あの時も、あの時から今も、休まず流れつづけている。すべてを受け入れながら。
ツーリストの腹を壊しながら。
我が儘な祈りを受け入れながら。
悲しみを受け入れながら。

私は私なりの儀式を通して、供養を終えたのだ。

10年前だ。生活は様変わりを何度もした。

あの時の旅は、恋人の待つ家に帰った。その恋人とも、きれいとは言えない別れ方をして、その後彼がどうしているのかもわからない。
当時は私には自立心というものが薄くて、常に誰かに、なにかに依存して生きていた。
インドの旅の目的も、彼との関係を一度離して自分自身を強くして…なんて甘ちゃんなことを考えていたけど、そんな簡単に自立ということは起きない。
結局、本当に自立しなければと危機感を覚える結婚の失敗により、ようやく自立ということが理解できてきたように思う。
いま傍で眠る3人のこどもたちを育てるという責務が、私にはある。
その責務を、大変だけど楽しいものだと思う。
私なりに、全力を注いでいる。

インドから帰って2年後には僧侶になり、
経も多少覚えた。仏教のことも世界の宗教のことも、他人がどんな感覚で生きているのかも、わからないことだらけなのは依然としても、その頃より多少はわかるようになった。

生と死が誰にも等しいことを。
人は何かに依存して生きていることを。
また人には色んな面があることを。
みんな訳あって生まれてくることを。
ほんの一握りの人間の計画と大勢の無意識がこの世を作っていることを。
愛の概念には種類があることを。
人は人が作り出した妄想にかられたまま生きて死ぬことを。
最近みんなよく気にする目に見えぬ世界のことも少し。
何事もプラクティス・プラクティス・プラクティスだということを。

だけど人生の時間には限りがある。
そう何度もやり直せないこともある。

私はこの先10年、20年は、お金を得るためにも仕事をして、子どもたちを育てていたらあっという間に過ぎていくような気がするけど、その10年先も、明日すらも、本当にあるかどうかはわからないのだ。
先まで考えることと、今を全力で生きることを、やりくりしながら生きているのだ。

その狭間に、どうしても表現しきれない思いがある。憧れ続けることしか出来ないことがある。

それは、夜、子どもが寝たあとの紅茶だったり、
子どもの髪の毛だったり、
揺れる洗濯物だったり、
自転車を漕ぐ筋肉だったり、
この句読点だったり、 
なめらかな包丁の切っ先だったり、
誰かの咳払いだったり、
犬の抜け毛だったり、
たんぽぽの綿毛だったり、
一瞬の笑顔だったり、
歌声だったり、
ガンジス河の1滴だったりする。

いろんな事象に自分が遅れて存在する隙間に、いろんな形で、それが入ってくる。
一生懸命いのちや時間を伸び縮みさせながら生をやりくりしてるときも、容赦なく変わりなく。
それは瞬間でしかなくて、とらえ続けることはできない。目の前にしょっちゅう表れるわりに。
憧れ続けるしかできない、切なくて、変わりなくて、偉大なもの。

それが、私の、愛の感じ方。
それが、いずれ、帰る場所。
それが、私が、生まれた訳。
それが、いのち。


インドから10年。
私は何故だかまた愛の姿を探している。
すでにあるものを、根掘り葉掘り探している…。

これは成長なのか退化なのかわからない。
いやんなっちまうぜ。