お寺で働きたい!!だって尼僧だもん

ふわあぁぁぁぁぁぁあ

あかん!あかん!


多少の援助はあるものの
やはりきちんと働きお金を得なければならない。
資格をとる?
バイトする?
学校通う?

どれもしっくりこないんだ。
シングルマザー おすすめ 資格 で検索したり
職業訓練のサイトのぞいてみたり
ハローワーク検索してみたり

したけれど。

お寺で働きたい。
曲がりなりにも、尼僧。
お大師さんとのご縁をいただいた。

お寺で働きたい。


元旦那とのことはどうしようもなかったけど
お寺での暮らしや仕事はやりがいがあった。

計画!!
10月某日、某とっても好きなお寺で、
お祭りのボランティアを募集している。
終わったあとはお茶会があるらしい。
どうにか子供達都合つけて、
ボランティアに行って、アルバイトさせてもらえないかとっこむ!

普通の生き方なんてできない。
思春期もその後も普通じゃなかった。
結婚後もその後も普通じゃなかった。

どうせ働くなら、いちばん自分の気持ちがパリっとするところで働きたい!

そんなにうまくいくわけない、かもしれない。
けど、某お寺、そこは、私がお釈迦様にそのお姿を体感させてもらった
私の宗教的体験の原点の場所。
そんなところで働けたら。

そうなったらいいな。

ひさしぶりに、強く強く願うことが、というよりもはや欲望!!が湧いてきた。

ガンガンいこーぜ。


お寺で働きたい!!!!


早起きかなぁ

赤ちゃん、夕方から覇気がないなぁと思ったらやはり夜から発熱。
水のような下痢

明日は近所のおかあさんと防災の話する予定だったんだけど…厳しいかもしれない情勢 
まあ仕方ない 

外食費がかかりすぎている
休日はどうしても家のなかでは済まないので外出し、すると疲れるので外食になる…
でもお昼食べてからとなると
それまでに部屋はぐちゃぐちゃに散らかる
3人いたらテキパキなんてできないよ
一食用意するだけでも大変なんだよ
あーどうしよ

なんにせよ 早起きするしかない気がする
こどもが寝てるあいだにできることをするというね…


お叱りとポジション

今日は娘を叱った。

長女というポジションが、
こちらが求めてなくても役割を自覚させ、 それ自体は自然なことで良い悪いではないのだけど、行きすぎて困ったことになることがある。
これまでも何度か叱ったけど。

弟はあなたのおもちゃじゃない。
そうやって人をおもちゃのようにするくせがついてるから、
弟にだけでなく、私にも、祖母にも、最近すごく偉そうな態度がひどい。
そうやってしてると 誰もあなたと遊びたくなくなって あなたが悲しい思いをする。
シンデレラのいじわるお姉ちゃんみたいになりたくないよね。アースラみたいになりたくないよね。
そんなふうに叱った。 
弟は、あなたみたいにうまく話すこともできないし、優しいからあんまり怒らないでいつも言うこと聞いてくれるけど、
もしママが同じようにされたら、しょっちゅう怒るよ。弟は優しいから怒らないけど、ふつうすっごく怒るよ。と。

ついでに、
ママは小さいときお姉ちゃんのほうが強くて、ママが悪いわけじゃないのにいじわるされてもやりかえせないし泣くことしかできなくて、とてもつらかった。 
弟にそうだよ?とも話した。
じっさい、うちの姉は私への当たりがひどかったので、しょっちゅう泣かされたり無視されたりしてたので、実感こもりすぎの話だったかしら、と(笑) 
 前々からだったけど、ここ数日は目に余って、注意しても変わらず、いよいよ今日、雷が落ちました。

きっかけは、弟が『ママ、お水ちょーだい』と言いにきたら
娘は椅子に座ってテレビを見ながら顎だけ私に一瞬向けて、『私が先、ちょーだい』と言い放った。
これはあかん。と、とうとう、『こっちを向いてそこに座りなさい。』となりましたよ。

娘は、弟とぬいぐるみとかで遊ぶとき、『○○って言って』『○○○って言って』と、台詞をぜんぶ自分で決めて弟に言わせる。それもすごい矢継ぎ早に。
いままでは多目に見てたけど、もう全体的にあかん領域までなったので、
もうそれをしない。と約束した。

 
長女や長男、最初の子というのは、
親に複雑な気持ちを持たせるものである。

長女シンドロームとか言われるように、
後から生まれた子がいろいろ自分のやりたいことの邪魔をしたりするから、ときに必要以上に自分のポジションや優位性をを守ろうとしてしまうし、それでいて責任感というのも早くから感じてしまう。

長女は、大変な仕事をしてるのです。
のびのびさせる二人だけの時間も、大切にしてきたつもりだけど…娘からはもっとと要求されてるなー。
 
はじめての子が大変なもうひとつの肝心な理由。それは、
長子がはじめてのことは親もはじめて、ってこと。
長子のはじめてのチャレンジは親もはじめてのチャレンジは。
長子の悩みと解決は親もはじめての悩みと解決。 
長子は、親の迷いながらの『はじめて』に生まれたときからずっとずっと付き合ってくれて、下の子たちも通る道を通りやすくしてくれる。 

(昨日寝落ちしたやつ。)

暦と私の生きる道。

秋分を迎えてから二日経つ。

昔の人が天体、夜空やお日様や月をずっと観察して
それと自然のはたらきとの関係を見つけだして
つくりあげてきた暦。
種を蒔くのは新月がいい 収穫は満月がいい
いつが昼と夜が当分になって
いつがいちばん昼が長くて
いつがご先祖様の霊を歓迎して
いつがお祝いによくて…
感動する。
マヤの人達なぞ、人間の範疇を超えたような大きな何百年何千年というサイクルを見つけている。
星座もそう。
自分が生まれたとき太陽はどこにあったか。それが普通のいわゆる星座。
月があったところが月星座。
それだけではなくて、他の星座も、惑星も、その角度も、すべてが影響しあって、
人間含んだ自然界に及ぼすいろんなことを、
たくさんの人が、科学的(反証可能な現実)に・霊感的に・研究して、時を耐え抜いて、いま存在している。

だから、秋分とかマヤの新年とかは、ワクワクする。
いわゆる普通のグレゴリオ暦のカレンダーには、あまりワクワクしない。
お正月に帳尻が合うだけで、月の動きも、惑星の動きも、関係ないもの。
旧暦や古代歴のほうが、より、自然の一部としての人間の営みを体感することができる。

私はまだまだな人間だ。
超未熟。
きっと、多くの人もそうなんだろう。
ただ
お金と惰性と支配に管理されたような社会のなかで、暦や天体のことを知るのは
いのちの原点に近づくことのような気がする。
それが成長につながるというより、見えなくなったものを見えるようにするという原点回帰。
原点回帰して見える風景は、いまより豊かだったり赦されていたりするんじゃないかな。


独身時代はマヤ歴の手帳で生活していたけど、子育てしたり無私になってくると書き込む暇がなくてすっかりやらなかった。
惜しくて、白紙ばっかりになると半分わかっていても二年は注文し続けた。
それくらい、マヤ歴での生活が心地よかったのだ。


最近、また、自分を更新されるような出会いがいろいろあります。
芽生え始めた意欲もあります。
感動と修行がいっぺんにくるね。
そんなときはやっぱり体感に良い暦で暮らしたいね。
グレゴリオ暦は忙しすぎるし遅すぎる。

暦=天体=数秘=生命
知識ではなくて、自分の中に生かす智慧。

ちなみに我が子三番目の娘には慧の字がつきます。
名前も、親が考えたようで、じつは生まれる前魂のころから本人が決めてきてるって、ほんとかな?




今日という日もありがとうございました。


水の惑星、緑の惑星、いのち溢れる惑星地球。
そのある島国の、進化と退化をいっぺんにあらわしている、星の見えない東京から。
それでも地球は回ってて、星々はめぐっていて、きらめいて、生まれて消えて、
美しい。
美しい。
美しい。


Oshoの伝えが
とても響く。

心地よく響く
そして斉藤一人さんの伝えが 響く。

そして今日は
姉の元旦那に十なん年ぶりの再会
またふたりが一緒になろうとしている事実
姉がつけていた香水は大事にしまっていたin love again
まったく ロマンチストな人である
ロマンでロマンでロマンな人である

斉藤一人さんの言うことに、
そうだよね~私もそう思ってると同じレベルで共感できることがあった
なんだっけ
えっと。
本当の意味での諦めるってことは
『あきらめるってことをあきらめる』こと

感謝が足りないってことは自分の力でやってることがどれだけ少なくて他のひとや自然のおかけでやっていけてるかってことに気付かないバカだ
みんなその馬鹿になりかける

私はもっと無邪気になれる


掃除を頑張った
あちこち整理した
母が安いからってたべきれない量のいろいろを買ってくる
わたしは食べないものばかり
あれこれ分類がぐちゃぐちゃになっていたし
調味料カゴがはちみつでベトベトになってたし
いらないビンが手前にあってかわいいビンが奥にあったり
狭いから、工夫せねば収納できない
物が多すぎるのである。
捨てたいけど母目線ではキープみたいなものがたくさんあるから仕方ない


チラ見した本にあった
理数系と文系というふうな分類がおかしなものである
理数系にはもはや現実の需要に適してない数学もあるし
文系はそのときの経済価値観や世界情勢を他の何より雄弁に語ることのあるものである
すぐ経済的な結果が生まれる研究にのみ研究費が優遇される

。。。。。

宇宙化が迫る。 

人の役に立ちたい?
人の上に立ちたい?

違います。
世界のためにも、自分の役に立ちたいのです。



サガンと、『居心地』

今、サガンの映画を観ているのだけど

サガンについてはよく知らない。

ただ、ハッとしたことがあった。

『一緒にいて居心地が良くて、愛してくれる人…』
という台詞。
『一緒にいて居心地が良い』
っていう感覚を、長い間、忘れていて、
もしかすると自分はそんなのを求めているのかもしれないとふと感じた。

『居心地がいい』 とっても抽象的な言葉。
でも、そんな肌感覚で、そう感じる相手が、
家族を除いて、私にはいるだろうか?

思い出すのは、あまり会わなくなった友達…
そして昔の恋人。

いつから、人と会うときに、いまのような緊張感を持つようになったのだろう?
自分と他の世界という境界線を、はっきり持つのが良しとしたんだろう?

『この人と会うとこういうことが得られる』、そんな打算を、いつからか持つようになってからではないだろうか?


昔ははっきりと、男女の間に友情はあると思っていた。
たとえ間に何か箱のようなものをひとつ置かないとならなくても、そんなのは手間というほどではなく、爽やかに、そうだと思っていた。

いまは、男を男と意識しすぎているきらいがある。
あと、いろんな人にいろんなふうに通さねばならない義理というのを感じていて、それが自由さを制限しているのかもしれない。

それでは、『居心地がいい』という肌感覚のアンテナの感度を、自分で鈍らせているみたいだ。

そうだ…
いろんなこと、忘れちゃってるなぁ。

『居心地がいい』相手と出会うには、
まず自分が、居心地のいい状態でいるかな。
その加減が、難しいけどねー。

祈りたくなりました。






……………明日は赤ちゃんの父ちゃんがくる。
数日泊まっていく予定

彼が、居心地のいい相手だったらいいんだけど。
そうじゃなくて、どちらかというと悪い。
いろんなこと根掘り葉掘り聞いてくるのがすごく嫌。そういってから、前よりは聞かなくなったけど。


サガンのように、私も物語をつくりたくなりました。


雑記…

雑記的に。


あさってはよみうりランド。息子以外みんな女の6人で。
株主優待券フリマサイトでGETしましてね。
こういうの知っちゃうと、ふつーに行く気はしなくなる。半額以下だもの。
でも、安いからってアレコレ欲が出るから、支出的には減ってないね。
よみうりランドは、こどもたちがとても気に入ってたので、もう一度行けそうでよかった。

娘のワンピースと息子の消防車のおもちゃもポチってしまいました。
お金ない~~って言ってるくせにね…もうこれは性格ですね
働きはじめたらがんばるぞっ

いやしかし、赤ちゃんがはいはいやつかまり立ちをはじめ3次元移動になってから、部屋がますます散らかる、汚れる。
やっばい。

でもかわいい。

思えば、23年、25年、27年と、2年ごとに三児を産んで。
当然腰痛もちの私にはつらい妊娠生活もたっぷりあって。

ここまで、突っ走ったな~~と思うのです。
無茶したな~~と。離婚や別居もあって何度も引っ越して。5回も引っ越したか。

いまはもう、ただただ、落ち着いて暮らすことが、なによりの望みで、それだけで、ありがたいのです。

考えるのはリスクヘッジね。
なにかあったときにどうするか。
母も超元気だけど今年還暦。
自分や家族が病気することだってある。

なにがあってもあわてないで
コントロールできないことは受け入れて
コントロールできることは落ち着いて

笑顔ですごしたいです

しかし、赤ちゃんの父ちゃんが、ここ一ヶ月、連絡がない…生きて仕事してはいるみたいだけど、
三回ほどしたLINEも返事ないし。
なんか不穏。
なんでもなければいいけど、
もしかすると、
私が前回ちゃんと養育費をくれって言ったので、
OKはしたけれど、なんかいろいろ納得いかなくていろいろ考えてるのかもしれない。

たまに思いはする。
赤ちゃんを、彼が育てるってこと。
不可能ではないはず。
でも、それ以上考えるのは辛くなる。
まだ乳飲み子だもの。
苦労して産んだ子だもの。

彼と一緒に暮らすか?赤ちゃんを彼に預けるか?
もしその二択しか選べなくなったら…
私は彼と暮らすことは選べない。

三日一緒にいるのがきつい相手と一緒には暮らせない。そんな環境でこどもたちと穏やかに暮らすことはできない!考えられない。
だったら、まだまっさらな赤ちゃんを彼に託して
うえの子たちを大事にするしかできない。

でも、離れるってことが考えられない。

もしも、この子が男の子だったら、託すことももう少しリアルに考えられるものだったのだろうか?
いや、そうでもないだろうな…。

もし私がいま死んだら誰がこの子たちを育てるんだろう?
赤ちゃんは、まぁ、彼のところだろう。
上の子たちは…きっと、姉と、母と妹と、みんなで手分けしあいつつ、育ててくれるだろう…きっと大丈夫。
 

なんかぐちゃぐちゃだけど、
とりあえず、無言にはメッセージがあるから、
そのメッセージはなんなのか、
考えておきます。